2011年8月30日火曜日

遙かなるロシア ロシアの電車



ロシアの長距離電車はなかなか情緒がありますね。
雪の冬なぞは アンナ カレニーナのラストシーンの様な雰囲気です。


モスクワからロストフ ナ ダヌー間は ”静かなるドン号” という綺麗な汽車が走っていました。

ドン号の利用客が多く、この汽車の座席を確保するのはかなり前から予約しておかない取れないので、私達が利用できたチャンスはほんのわずかでした。


クーペと呼ぶ仕切られた特別席でも、家族だけの時もあるし同居人もありました。

ロシアの人たちは、長距離列車での社交がとても上手でした。
すぐに親しくなり、食べ物を交換したり目的地につくまで友達の様に、家族の様にして過ごしました。


車掌さんは女性が多く、女性の車掌さんの記憶しかありませんね。彼女達はとてもよく働き、親切でした。

そして終点に近ずくと掃除を始めるのですけれど、ゴミクズを汽車の窓からボンボンと、とても上手に野球の選手のように、窓から外に捨てていく車掌さんもいたので、娘と二人で「ワー オー」と感嘆の声をあげました。


その汽車がそれほど野暮ったいとも思いませんでしたけれど、ある雑誌に「パリにはヨーロッパ中からファンシーな電車が乗り入れてくる。その中でモスクワ行きを探すのは簡単だ。もっとも野暮ったい電車だから」何て言っていました。







2011年8月24日水曜日

遥かなるロシア セムチキ売りのバブシカ (向日葵の種を売るお婆さん)

  ほっかむりをしたお婆さんたちがここの路上、あそこの路上でセムチキを売っています。


 みかん箱のような粗末な箱の上にセムチキを置いて、新聞紙を小さく四角く切ってこの一袋がとても安く、今では何ルーブルなのでしょうか。


私たちもよく買ったものでした。


こんな少しのお金でも、お婆さん達の生活費の足しになるのかしらと、とても気の毒に思いました。


ある日友達の家を訪ねたとき、そこには何人かの親戚が来ていました。


その中のお婆さんが泣いていました。


「最近夫を亡くしたので、一人暮らしが寂しいと言って泣いているのよ。」
友達が教えてくれました。


とても悲しそうで、私たちも暗い気持ちになりました。


親戚の人たちは色々と気を使って慰めている様子でしたが、「セムチキ」という単語だけが耳に入りました。


「一人で部屋にこもって泣いていたら気が滅入るばかりだから、セムチキでも売りにいったら?」
と親戚の誰かが言っていると、娘が訳してくれました。


なるほど、セムチキ売りのお婆さん達はそこが社交場であるのだわ、と少し解放された思いがしました。


ロシアでお爺さんの印象はほとんどありません。


男の人たちはボッカを飲んだくれて、早々と他界してしまう。
と言う話も聞きました。


アカホリックは、昔からの社会問題であるようです。











2011年8月16日火曜日

遙かなるロシア 野良たちの天国



ロストフ ナ ダヌーの郊外の住宅街には野良犬の群れが数組うろつき、野良猫たちはゴミ捨て場にたむろしていました。


多分アニマル コントロラーなぞという職業は無いのでしょうね。
住人も気にしている様子はないし、食べ物なぞも与えているので生きていられるのではないですか。
痩せこけている風もないし、元気にしていました。


ゴミ捨て場を縄張りとしている猫なぞは、風格も立派で眼光鋭く、太々しく、石川五右衛門風です。


我が家の階下に住む猫好きのアメリカ人の飼い猫が、気の毒にもここに迷い込み追いかけられて付近の大木によじ登り、救援隊が駆けつけたのですけれど、よほど怖かったのでしょう、天にも届くほどの高さにまで逃げ延びていたので梯子も棍棒も届かず大騒ぎをしていました。

そのようなわけで、彼らの落し物がここかしこありがたくないものです。
腕白息子と歩くときはいつも「草の生えているところに入り込むな。」と叫んでいました。
歩道にもあるけれど、見えるでしょう。


朝日に輝く新雪も、ジワジワと色ずき無残な光景となっていくのでした。