2011年10月12日水曜日

遥かなるロシア  ロシアのロマ人

ジプシーと言う言葉は差別用語で、使うにはふさわしくない言葉だそうですね。
とっくの昔から、当たり前であったのでしょうけれど。

 


ロシアでも、ロマ人と呼ぶのが普通らしいです。


ロシアに行く前に聞いた話は、ロマの子供たちが旅行者とみると集団で襲いかかり、身包み剥いで奪っていく。そんな話をとても怖く聞いていました。

我々の尋ねた 頃はそれほどのことも無く、そこかしこの路上に見掛けはするものの、そのような乱暴な素振りは見えませんでした。


ある時ある路上で、3歳くらいのロマの女の子が1歳くらいの弟に小さな空き缶を手渡して、物乞いの仕方を教えていました。

ベイビーですから何をするのか知る由も無く、勝手に缶で遊ぶのを女の子が缶を取り上げて、その缶で弟の頭をガンガンと引っ叩いていました。


こんな光景は日本は勿論のこと、アメリカでも見たことがありません。第一ロマ人がいないのですから。


缶でベイビーを引っ叩くなんてものではなく、最近フランスでは子供がベイビーを路上で売っていたと言う話もあったそうです。

あるとき、モスクワに行く途中のある駅で、ロマ民族の大移動を目撃しました。


何百人と言う数に見えました。それほど多くは無かったのでしょうけれど、兎に角壮大でした。


赤ん坊から老人まで、鍋釜ヤカン、中国製のプラスチックのバックにパンパンに詰め込まれた所帯道具。
さすがに動物はいませんでしたけれど、”出エジプト” ってこんな有様だったのでしょうか。


昔から何となく、叙情的に歌われてきた ”流浪の民” 日本では付き合いが無いから美化するところがあるのかしらと思うのですけれど、シューマンの”流浪の民”、サラサーテの”チゴイネル ワイゼン”
そしてロシアの”黒い瞳” とても美しい曲で、これらはヨーロッパ発ですから彼らもまた叙情を感じたのでしょうね。

それにしても、流浪の民で歌われているような、

これぞ流浪の人の群れ 眼(まなこ)光り髪清ら


というまでには至っておりませんでしたけれど、自由に生きる人たちへの、羨望めいたものが人の心の中にあるのか、あるいは国が無く定着できない運命を背負った人たちへの憐憫なのでしょうか。

いずこに行くのか流浪の民 流浪の民












3 件のコメント:

  1. 今日も新しい知識を興味深く拝見しました。
    ロシアはまさに、「遥かなる…」という言葉がぴったりですね。
    ジプシーという表現は“流れ者”などと同等のイメージを持つ
    のでしょうか…?
    ロマ人という言葉は初めて聞きます。

    ロマ人は原住民だったのでしょうか。インディアンのように
    新しい住民に土地などを奪われたとか…?
    それにしても、赤ちゃんまでも物乞いをさせるというのは
    言葉になりませんね。
    フランスでのその話は一体どのようなことなのでしょう。
    まさかフランス人ではないのでしょう?

    ロマ民族はどこに住んでいるのでしょうか。
    安住の地を求めて彷徨う光景は今も続いているのでしょうか。

    確かに美しい曲が多いですが、“流浪の民”の現実は
    過酷なものがあったのでしょうね。
    そんな中でも、なぜか叙情的な美しさを感じさせるロシア、
    革命前の歴史の光が消え去っていないという感じも
    抱かせてくれます。

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  2. 彼らは自称”ロマ”と言うそうですけれど、「そうではない」というグループもあるそうです。ジプシーは英語で、夫々の国は夫々の呼び名があるようです。
    どこから来たかも諸説があり、定住しないということでは一致しているようです。EUには沢山いるみたいですよ。フランスでベイビーを売っていたのは勿論この人たちです。最近フランスは手荒く彼らを国外退去させています。
    EUはヴィザがいらないけれど、ロシアのロマ人がよその国にいけるとは思われません。広いロシアですから十分な移動場所があるのでしょうね。
    彼らには安住の地、という概念はないかもしれませんよ。

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  3. ”髪清ら” 
    このドイツ語のオリジナルは
    ”髪なびかせて”
    であるそうです。

    納得。

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