子供たちの通ったロシアの小学校の先生たちは、お医者さん同様安月給でありながら、権威があり献身的でした。
ロシア語の全く出来ない我が娘息子たちを、「挑戦してみよう」と校長先生の一言で、子供たちは受け入れてもらえたのですけれど、受け持ちの先生方は大変でした。
私たちも家庭教師にお願いしてあるのですけれど、先生方は始めての外国人で取り扱いに馴れず、小さな子供たちに余りに厳しく対してくる先生がいるので、子供たちが登校拒否をしますと、平謝りに謝ってきました。
やがて娘は持ち前の粘り強さで ”ロシア人の子供より良く出来る” と褒められるようになり、息子は言葉は達者にくしゃべりまくるけれど、読み書きに実を入れず ある先生からは無視されたり、ある先生からは時間外も面倒を見てもらったり、最終的にはホーム スクールで小学校を卒業しました。
”へえー” と驚いたのは、小学生が使うノートが5mm四方の升目のノートなのです。
そのノートにビッシリと、正確に綺麗に書くことが良いことなのです。
このように訓練されるので、ロシア人の手書きは綺麗になります。
アメリカ人の多くの人の手書きなんて、「なんていってるの」
私は最初から目をとうす気持ちも無くなり、夫に手渡すことにしています。
父兄の面接日には、英語の先生が通訳として登場してくれますけれど、ほとんど皆様方は通訳が出来ず、娘が通訳することとなりました。
先生方は必ず、「秘密でなければ、何故ロシアに来たか教えてください」と聞きます。
「秘密でなければ」というのがロシア的ですね。ソビエト的名残と言うのでしょうか。
そして娘の英語の発音を正してくれると、娘が笑って話してくれました。
小学生たちは、女の子はリボンをつけたりして髪を綺麗に手入れしてスカートをはいて登校します。とてもお洒落です。男の子たちも綺麗に刈った髪、シャツにズボン(ジーンズではなかったですよ)。
卒業式や何かの催し時には、女の子のリボンがことさら大きくなり、男の子は白いシャツにネクタイ黒いズボンと盛装してきます。
息子だけがTシャツ姿で写ている写真があり、その日が何の日であったのか私たちは知らなかったので、このようになってしまって心の痛い写真です。
私たちが居た、アフリカのケニヤやウガンダの学生たちも制服を着ていて、なかなか良かったですよ。
時たまアメリカに帰ってきて、学校の前にたむろしているこの上なくズッコケタ、アメリカの学生の姿というものは悲しい姿でした。
”家の子供たちをアメリカの学校に入れたくない”
夫も私も同時につぶやいたものでした。