カリニン グラード[kaliningred] |
というバルト海の小さな町は、この辺りのどの地もそうであるように、歴史的に興亡した大きな民族と国に支配されてきた地です。
第二次大戦後はソヴィエトロシアの領土となり、バルチック艦隊の母港となり、ロシアの飛び地となりました。
軍事拠点として、また不凍港として、ロシアにとって重要な地域であったのです。
日本海海戦で私たちが名を知る、この界隈を睥睨していたバルチック艦隊ですけれど、エライ遠まわりして、アフリカの喜望峰経由、紅海経由で、戦いのために日本海まで来たのですね。
之ではくたびれてしまって、勝ち目は無いですね。
この由緒ある町で、私たち家族は9ヶ月ほど過ごしました。
ソヴィエトロシアの占領下であった国なら、どの国もよく似たコンクリートむき出しの団塊の町となっており, 沢山のロシア人が移住してロシア語がメインランゲージになっておりますが、カリニングラードも同様でありながらも処々に中世風ヨーロッパ風な雰囲気も残っていました。
ドイツ騎士団が海辺に現れても、不思議に思わない雰囲気さえありました。
私達が住んでいたアパートは、10階建てのソヴィエト時代ではかなりの高級なアパートであった様子で、もしかしたらその筋の大物たちが住んでいたのではないかと思ったりしました。
何故ならば、5階の我が家に辿りつくまでに、3個のドアーを鍵で開けなければならないし、セキュリティーガードがアパートの入り口にいつもシッカリと座っておりました。
5階の窓からは周辺が良く見え、息子の好きなお月様もよく見えましたし、事あるごとに打ち上げる花火もよく見えました。
町を流れるブレゴリャ河のほとりに、カントミュージアムがありました。
カントはドイツがこの地を領土としていた時代、「東プロイセン」と言われていた時代に、ここで生まれたのでドイツ人ということになります。
ヨーロッパの歴史は余りにも熾烈だったのですね。
ドイツ騎士団の話なぞに深入りすると、気が遠くなるのでやめときましょう。
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