2011年9月14日水曜日

遥かなるロシア ボルゴグラードの小さな怪物 1



日本から比嘉教授の開発されたEM菌 を”是非我が村に’と招待されて、ボルゴグラードからかなり奥地の村にいくことになりました。

スターリングラードの攻防戦で知られる、ボルゴグラードもボルガ川の畔の町。南ロシアにありながら南ロシア風の叙情を感じることが無かったのは、かの凄惨な戦い故にこの辺がセミトリーのように思えるからなのでしょうか。


この戦没者を祭るママエフの丘に立つ女神も、そこに流れるメロディーもとても不気味でした。


起伏の無い土地がかってはカスピ海の海底であったので、少し掘れば塩を含んだ土故に木が大きく育たないと農夫がいっておりました。

起伏の無い大地が果てしなく、中央アジア、カザキスタン へと続く気の遠くなる大地です。侵略者とはすごいものですね。ジンギスカンもナポレオンもヒットラーもよくも遥々ここまで遠征したものです。

この街から凸凹道とはこうした道だと言う道をバスで2時間余り、彼の実家にたどり着きました。
見栄えの良い家が点在する村で、果てしなく広がるロシアの大地はとても荒涼としたものです。彼の家系はタタールでした。


タタール ジンギスカンの時代に遡った様な気がしました。アメリカでも耳にしない民族です。この語感とこの荒涼としたロシアの大地とよく似合っていました。


若い彼はこの実家に帰省しても3日滞在すれば、退屈してくると言っていました。

2 件のコメント:

  1. スターリングラードの攻防戦はドイツ連合軍に勝ったとはいえ、
    50万以上の戦死者が出たと書いてありました。
    この戦いの背景は何だったのでしょう。
    ママエフの丘に立つ女神が不気味というのは…
    見たところ美しい像に見えるのですが、やはり激戦の地ゆえに
    そのように見えるのでしょうか。

    苦労して訪問したのですね。
    そこではEM菌が使用されましたか。

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  2. 何せスターリンとヒトラーが対戦したのですから、この上ない悲惨な戦争だったようです。
    一日も早くこの町に、晴れやかな光が見えてくるようにと願っています。

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