私たちがロストフ ダ ナヌーに住んでいた時、良く話の出来る猫がいました。
階下に住むアメリカ人の飼い猫で、名前を ”ロメロ” と言う黒いオス猫でした。
ロシア語の発音ですると ”ロ” なんてすごい巻き舌で、バイブレーションまで加わって私なぞは最初から諦めていた発音でした。
このロメロはかなり大きくなるまで、全くの箱入り息子で外出することさえ知りませんでした。
ある日、アメリカ人の飼い主が ”お前も青年になった。外に出てみな” ポイッ と地面に投げたら、”
彼は ”アアー ” と悲鳴を上げて、なにやら分からない始めて足に触れた土から逃れようと手足をものすごい速さでバタつかせ、逃れることが出来ないと知った焦りで、無我夢中で登った木が小さい幹で地面に垂れ下がり、”アアー” 再び叫ぶと垣根の下から隣家に走りこみました。
ここでも不運は付いて回り、隣家の物凄い ブルドック と鉢合わせをしてしまいました。
こわーい犬に追いかけられて、隣家の庭を数回逃げ回り、運良く垣根の下から生還することが出来ました。
その後、彼は外にも出ることが出来るようになり、人(猫)生を楽しむようになりました。
私はもともと猫には余り関心が無く、泥足で出入りするのが嫌でベッドルームは猫でも犬でも立ち入り禁止にしてありました。
そのような私に何故かなつき、”猫ってこんなに可愛いものだぞ” と教えに来てくれたのでしょう。
彼によって私の “猫観” が変わったのでした。
彼は子供たちがベッドルームで遊んでいると、戸口で覗いているのです。 スコーシずつ体が入り込んできて、そのうち全身が入り込んでいて、「ちょっと あんた」 と注意すると 「アッ」 といって元の位置に戻るのです。
ある時なぞ、開け放たれた誰も居ないベッドルームに忍び込んで、私の足音を聞きつけて隠れたのですけれど、「ロメロちゃん あんた尻尾がでているよ。」 ベットの下から大きな尻尾が丸出し。
「アッ しまった」イソイソと逃げていきました。
ある日娘が親父と喧嘩をして駄々をこね 「ダディー、ダディー」とわめき始めました。
娘が「ダディー」と叫ぶと「ニャン」、 「ダディー」 「ニャン」10回位繰り返しましたよ。
私たち一家がカリニングラードに引っ越すことになった時、荷造りをしている私の周りを徘徊して、
「何しているの?」 と聞くので、「引っ越すのよ」
「何処へ行くの?」 「カリニングラードよ」
「いつ行くの?」 「3日後よ」
来る日も来る日も彼は外出することも無く、話しかけてくるのです。
「ネー、ネー、其れでサー」
そして夜は我々のベッドルームの戸口で寝ていました。
最後の日には「あんた達行っちゃうけれど、私はどうすんの?」 「どうすんの?」 と言い出しました。
その様子を見ていた飼い主のアメリカ人が、「ロメロを連れて行ったら? 一緒に行きたいらしいよ」 と彼まで言い出しました。
子供たちはすっかりその気になったのですけれど、親父も多少その気になったのですけれど、彼らはすでに6羽のジュウシマツを連れて いかなければならないし、荷物は余りに沢山あります。
子供たちがモスクワまで運んだジュウシマツも、そこから先、カリニングラードまで運ぶことは出来ませんでした。
ジュウシマツは可愛いから、誰もが喜んで引き取ってくれたけれど、ロメロちゃんはちょっとね。
「ロメロちゃん連れてこなくて良かったね。モスクワでホームレスになっていたよ」
私たちは語り合いました。
ところでこのロメロ君日本語も、英語もロシア語も話せましたよ。
そんなことがあったのですか。
返信削除可愛くて賢い黒猫さんだったのですね。
どうしてモスクワから先には鳥を連れて
行くことが出来なかったのでしょう…?